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御城印 砥石米山城 (4種類4枚セット)

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砥石米山城の歴史

砥石崩れ

 砥石城は、北信濃一の豪族・村上義清(?~1573年)の居城である。佐久・小県地方に根を張る義清と信濃併呑を狙う武田信玄は、いづれ決着をつける宿命にあった。
天文17年(1548年)2月、諏訪を手中にした信玄は大軍を率いて上田方面に乱入し、千曲川南岸の上田原で決戦の火ぶたが切られた。村上勢は、武田の武将・板垣信方を討ち取るなど優勢で、義清自身、信玄の本陣に斬り込み信玄本人と刃を交え勝ちを取った義清は、翌々年の砥石城での籠城戦でも「砥石崩れ」といわれるほど信玄を痛い目に遭わせた。だが、名将信玄に2連勝という義清も、信玄の武力を使わぬ巧妙な政略に砥石・葛尾と次々拠点を奪われ、結局、越後の上杉を頼って落ち延びていった。

砥石米山城に伝わる白米伝説

 村上義清が立てこもった砥石城を、天文十九年に武田軍が攻撃したときのことです。武田軍は約五千の精鋭で城際に押し寄せ、激しく攻め立てましたが、村上軍の城兵も果敢に抵抗して、城はなかなか落ちませんでした。そこで武田方では、敵の水の手を断つ作戦に出ました。城側は飲用水にも困るようになりました。
 しかし、村上方にも知恵者がいて、一計を案じ義清に耳打ちしました。義清は、「なるほど。それはおもしろい策だ。すぐに実行せよ。」ということになって、敵陣から見える砥石城の出城・米山城の山頂の広場に三、四十頭の馬を引き出し、米倉から米を取り出して、その米を馬の背からざあざあと浴びせかけました。これを遠目に見た武田方は「やや、なんと馬に水を浴びせておるわい。水に困っていないのか。これでは作戦をかえねばならない」。米が水に見えたのでしょう。頭を抱えました。
 こうして攻撃が始まってから一カ月近くになりました。ついに武田方は砥石城の攻撃をやめて、甲府に引き返すことになりました。この時村上軍は、突如武田軍の殿(しんがり)を襲い、勝ち戦の戦果を挙げました。歴史上この戦いは「砥石崩れ」といわれています。馬に米をかけて、あたかも水をかけているように見せかけた作戦が効を奏した結果でした。上田原合戦に続いて、武田軍は二度目の手痛い敗戦を喫しました。

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